生きています。そして夕日への情熱も忘れていません
定期的に購読してくださる方がいるか不安ですが、大変ご無沙汰しております。長い間、ブログの更新を停止し、いわば「長い瞬き」をしておりました。もちろん、夕日の存在を忘れているわけでは決してありません。
さて、これまでの記事を振り返ってみると、日本海側の夕日スポットの紹介が極端に少ないことに気づきます。
「別に行っていないわけではないんです。」
能登半島、天橋立、鳥取砂丘、富山湾……。特に秋田・男鹿半島の入道崎や寒風山は、自分の中の「ベスト5」に自信をもって入る絶景です。
なのになぜ記事が少ないのか?それは、読者の皆さんも共感してくださるかと思いますが、日本海側は快晴の日になかなか巡り合えないからです。折角の絶景も、どんより曇り空では夕日の感動が伝わりづらい。泣く泣く、抱き合わせの観光地記事だけを履歴に残すことになってしまいます。
【小言】出雲訪問後に急増した「くもり」の旅
ここからは半分冗談、半分真剣な私の「小言」です。
実は、数年前に出雲の地を訪れて以来、私はある感覚的変化を受け取りました。それは、旅行時の「くもり」が異常に増えたことです。
自然豊かな絶景を目指して行っても、なぜか太陽が隠れてしまう。どうでもいい移動日は晴れるのに、「渾身の一日」に限って、お生憎の空模様なのです。
一方で、「ギリギリ雨予報でも旅行中はくもりになる」という、絶妙な曇り運にも恵まれています。これ、笑ってしまうほど何度も起きているんです。
かつては「晴れ男」として通っており、鈍感な自分でさえこの変化に気づく始末。このサイトを立ち上げるきっかけとなった北海道周遊も、卒業旅行の欧州や九州周遊も、私の記憶にあるのは「晴天」ばかり。天候で嫌な思いをした記憶があまり浮かびません。自然を目当てに行く旅は、天気が悪いと強烈に印象に残るはずなのですが…。
「出雲」が与えた私の興味の矛先
この日々の天候の変化を感じていた自分が、日本神話や古代史にハマるまでは、ごく自然な流れでした。
最初は「なんかやたら旅行中にくもりが多いな」という些細な疑問から。
- 「雨予報ですらくもりに変わるのは笑う。これまでの旅を振り返ると、出雲に行ってから天候運が変わった気がする」
- 「出雲(いづも)。“雲が出づる国”…当て字だなこれは。なんでだろう」
- 「そうだ、出雲は国津神(くにつかみ)の地だ。天津神(あまつかみ)アマテラス(太陽神)信仰とは別軸なんだ」
- 「なるほど、神話上の国譲りとは、実際の歴史における太陽勢力から見た『曇っている勢力』への揶揄、つまり悪口に近かったのではないか…?」
こんな具合で、次々と神話や古代史を掘り下げるようになりました。
日本人が太陽に惹かれる理由
太陽信仰の代表格である大和民族は、国旗に太陽(日輪)を掲げています。古代エジプトのように、太陽信仰の民が太陽を目指して東を目指し、島国にたどり着くというのは、特段不思議なことではありません。
そもそも、統一国家意識が7世紀頃と言われる大和民族がいつ成立したのかという、曖昧な歴史の断片を辿ると、おそらく古墳時代にその基盤があると私は感じています。日本人が自分たちの歴史を深く知らないというのは、不思議というか、少し笑ってしまいますね。
現代の日本人のDNAは古墳時代から大きく変わっていないと言われますが、私たちの血の中に流れる、この「太陽信仰」こそが、現代の私たちが夕日、そして日の光に強く惹かれる理由なのではないか、と追究を始めたのです。
中央と辺境に残る古代の信仰
私たちが太陽や夕日を見て何らかの気持ちを抱くのは、極めて自然なこと。だからこそ、感じたままに夕日や旅の記録をアップし続けます。
同時に、私が愛する日本の田舎には、中央政府の価値観とはなじまず、古代日本の名残が色濃く残る地域がたくさんあります。太陽信仰とは異なる、古代の日本人が別の信仰を持っていたということも最近の研究で言われており、これがまた非常に興味深いのです。こういった地域は常に逆境でしかないですが、いまこそわかる魅力があるように思います。
また機会があれば、この「追究の道」で掘り下げた内容について、深くお話させてください。
最後に一言。
「今」、一番面白い作品は間違いなく「もののけ姫」です。





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